積もった智

2020−5−17

やっと辿り着きました。若い頃を振り返るとアレもコレも簡単に理解できていたのが、今は積み重ねられた限りのある脳細胞の整理をして、少しでも隙間を作って新しい技術知識をねじ込まなければいけない努力の成果の薄さに嘆いています。愚痴はこれだけにして、、

さて、私は海外、それも西海岸に住んでいます。だからこれはコロナ旋風の情報です。海外のの様子が少しでも見ていただければ幸いです。

コロナ暴風の始まりに遡って行くのも本人自身との記憶辿りに時間がかかりそうなので、確かな情報から初めていきましょう。

今週末からここカリフォルニア州では海岸が解放されました。2週間前に南に下がった海岸ではそれまでの州知事の戒めに反対して、海岸を開けました。地元の市長たちの決定ですが、次期選挙の為であるのは容易に想像がつきました、はさておいて、待ち焦がれていた海岸の開放は大変な賑わいを見せて、テレビのニュースでそれを見た、海岸線に住んでいながら、海岸に近づけない住民には驚きと妬み、自分たちはできないのに、どうしてあなた方が、が勿論声高に起り、州知事も翌日のテレビ会見では、激怒は見せませんでしたが、失意と再度海岸線の封止を声高に宣言しました。でも誰もが毎日テレビを見て、州知事の現状報告を聞いているわけではない。翌週にはまた海岸に行けるだろうと、子供達、友人知人、仲間を連れて海岸に向かった大勢の住民は、人間の警官だけでなく騎馬警官に追い払われる羽目に陥りました。人間の警察官ならいくら警官の装備をしていて彼が2メートルもの高さでも、目線は大体同じでそれほど恐ろしい存在でもない。多少の小競り合いはあっても目線がほど同じではそれ程の恐怖もないでしょう。それが騎馬上から、海岸にはいけません、帰りなさい、と言われると目の高さ以上に馬の顔があるのです。誰もが抵抗する気もなく、家路に着いたのは容易に想像できます。州知事は州民すべての安全を願っていろいろ禁止事項を極めていましたが、これ程の時間が経過し、周囲の人達に何も影響が出ていないと少しづつ判明、理解されて来ると、規則は守るけれども理不尽な規則には必ず訴え出るここの国の人達は行動に出たわけです。私達東洋人は、少なくとも私が育ってきた子供時代から、我慢、は年長者からのどんな理不尽にも疑問に思い泣きながらも我慢を強いられてきて、それがしっかりと身につかされてきたお国柄です。やればできる、我慢、がんばれ、の精神が培われて来ていますが、ここは違います。子供達が学校へ行っていた頃、何しろ外国です、全てが、全てに????がついて回りました。子供を異国で不安に陥れないためには、私は学校に通い詰め、質問に質問を重ねてきました。余りの当たり前の質問にカウンセラーは横であくびを噛み殺していましたが、負けない!子供たのために私自身の為にも、と答えが100%理解できたわけではないですが、そんなものか、そうか、そうか、と納得させられてきたものです。ここの国の人達は、やればできる、精神は持っていません。コレができなくてもアレができるでしょう、それでいいでしょう。誰のための人生なの、誰のための勉強なの、自分でしょう、が基盤にしっかりと育まれています。それ故、州知事が住民の安全の為に、これ以上コロナを増やさないために、と声だかに、毎日毎日テレビで経過報告質疑応答をしていますが、この州知事、毎日の演説に原稿は読みません。数字も全てソラで並べています、が、彼の努力、住民の安全をまず優先に、もこれだけ長くなってくると人間は麻痺してきますね。人生の時間は決められている、これ以上我慢を強いられて、それが私の人生の何になるの、の疑問不満がフツフツと表に出るようになってきて、まず州知事の反対を押し切って海岸を解放し、その後、州知事もそれを容認し、私の住んでいる地区でも海岸は開放されました。大変な賑わいを見せているし、マスクマスクとうるさく言われていたのに、海岸に出向いている大勢の人達は殆どマスクなし。最もマスク、が何であるか、どんな効用があるか、子供の頃から風邪=マスク、咳=マスクを何の抵抗もなく受け入れて育ってきた私達には当たり前のマスクでも、ここの人達には悪者でない限り、昔のカーボーイ映画でバンダナを使って顔を隠していた、そんな知識しかないのです。テレビでマスク作りの講座がありましたが、まず、布選びからです。これは息ができません、これも息苦しくなります、とまずマスクが何であるか、何のためにあるかの説明からでした。それ程馴染みがないのです。マスク=ギャング、のイメージがあるのでしょうか。ソーシャルディスタンス、お互いの距離も注意を促されています。モンタナの小さな小学校では開校されましたが、休み時間に教師が長い棒を持って運動場をうろうろしていて、これ以上お互いに近づいてはいけません、の警告ですが、海岸に出向いた人達にとっても、買い物に出ている人達にもソーシャルディスタンスを守る程の緊張感を持って海岸、買い物、に出ているわけではなく、極々自然に当たり前の毎日の雑用をこなしていて、それで頭一杯の現状ではないでしょうか。これからずっと海岸は禁止を解かれるのかどうか、まだまだ先は見えていません。、